長時間労働について。ブログタイトル変えようかな
こんばんは
最近暗号通貨にハマってしまった私。
当初このブログは投資信託とIPOで資産を増やし、その後不動産投資にコマを進めていくという作戦だったのですが、現状は、
①暗号通貨→一攫千金狙いでNEMを研究中
②投資信託→やめてはいないが、投資額、投資銘柄を減らし絶賛縮小中
③IPO→完全休止(一応妻が主体となって9月くらいから再開予定?)
④不動産投資→未実施(9月以降に着手できれば)
という感じになっています。
このブログは、早期リタイアを目的としたブログとなっていますが、最近リタイアの意味が違うと考えるようになりました。
当初は、不労所得を得る仕組みを形成し、人間らしい生活を取り戻すことを目的としていたところなのですが、自分自身に「仕事をやめて隠居老人のような生活をすることが人生の目標なのか?」と問いかけたときに「違う」とはっきりと思ったのです。
不労所得を得る仕組みは、絶対に形成したいところですが、仮にそれが出来ないとしても、時間に不必要に拘束されない働き方を模索して、私は家族との生活を大事にしたいし、これから生まれくる子供との時間も十分にとっていきたいと考えています。
そう考えるとリタイアという言葉は違うのかな、と思ったのです。
世の中が変わらないなら、私自身が新しい働き方を切り開いてやりたい、という気持ちなんですね。
また、上に記載したように、資産形成の手段が投資信託やIPOから暗号通貨へとシフトチェンジしてきているので、その辺りもブログタイトルから乖離してきちゃっているんじゃないかなと・・
そんなわけで気が向いたらブログのタイトルも変えたいと思います。
ブログタイトルは、妻と相談して変更するなら変更したいと思います。
長時間労働について思う事
このブログを作ってから、働き方について考える時間が本当に増えました。
私が今勤めている会社にも、長時間労働、つまり残業を何時間もこなして職場のエースになっている人がいます。
その職場のエースという人は、30代の独身女性です。
仕事ぶりはというと、朝早くに出社して、お昼も食べないで黙々と仕事をして退社は23時過ぎです。
いつもこんな感じです。
その人を見ていて私は、いろいろと思うことがありました。
きっと彼女は、朝から晩まで働き続けることによって、私生活はないでしょう。
仕事をたくさんこなすことによって、周囲からの信頼度が高まり、そのことがモチベーションとなって、更に仕事を頑張るという悪循環に陥ってしまっているように感じます・
もし仮に、彼女がクラウドソーシングや在宅での働き方を模索して、今の仕事量をこなすのであれば、収入はそれほど変わらないでしょうし、更に自分の時間をとることもできると思います。
異常なまでに、縛られた生活に価値はあるのでしょうか?
彼女ほどじゃなくても、会社や社会に縛られて、一人の人間なのに人間として生きていけてない人が結構世の中にはいるんじゃないかなと感じました。